2006年
2014/12/23
加納朋子「モノレールねこ」
ミステリ畑の出身ながら殺人事件等をメインには扱わず、日常に偏在する細やかな謎を紡いで物語にする加納朋子の作品は、デビュー時は北村薫からの影響によく言及されていましたが、昨今では「ビブリア古書堂」シリーズなどに通じるヒロイン達への影響もあったのかなという作風ですね。
この短篇集はもはやミステリではなく、日常の中のよくあるがかけがえのない邂逅と別離にまつわるもので、著者がよく使う連作としてのまとまりはありません。
一方で短編には共通のモチーフがあり、それは生きている人が遭遇する他者(人間に限らず動物や植物も)の死、というものです。明るい語り口に中にすっと入り込んでくる死(それにまつわる現代の問題)は、誰にとっても避けられぬものであるが故に、普段は見たくないもので、影を落とすのですが。
だけど、そこを中心に据えて無常感や厭世観を描くのではなくて、傍らにおいて、生者がそれぞれ生きているという当たり前の話を、本当に読みやすくまた後味が悪くなく描くという、独特な物語世界を展開しています。
それがとてもリアルであるからこそ、初期の傑作「ななつのこ」「ガラスの麒麟」などとも通じる、物語を推し量るという意味での推理モノにも先祖還りし、また幻想小説であるともいいたくなる、そんな不思議な感覚を与えてくれるのだと。
各編の中では、「ささらさや」のギミックの変奏ともいえる「シンデレラのお城」、失笑で始まるのに最後の一行に笑い泣きをしそうになる「バルタン最後の日」(タイトルが秀逸すぎます)が心に残りそうだと思いました。
2014/12/02
弐瓶勉「ABARA」
今年「シドニアの騎士」のアニメ化でブレイクした感のある弐瓶勉の、00年代中盤の作品ですね。同時期に描いていた「バイオメガ」と同質の、「BLAME!」の延長線上にある画風で、「シドニア」から入った人は面食らうかもしれず。
「シドニア」でも人類の天敵となる異形生命体?寄居子(ガウナ)がキーとなっていますが、「バイオメガ」がよりSFの体をしていたのに対して、この作品はより言葉も説明も少なく、話の短さもあって抽象的で映画めいた雰囲気になっています。
グロテスクな描写、ダークヒーローっぽいシルエット、寄居子が白と黒に分かれて争う(漫画全体が白と黒の高コントラストで構成されているといえます)など、弐瓶漫画の濃いところを結集したような感じです。
これや「バイオメガ」で行くところまでいったので、「シドニア」はより分かりやすい物を描こうということになったのかもしれません。「シドニア」も人類の存亡を掛け旅をする物語ですが、こっちは更に何処にも行けない感が強く。
弐瓶作品に特長的なタームの濃さも「至原体」「第四紀連」「禁籠」といった感じで極まっている感じ。特に、物語を決する存在たる「恒差廟」の存在感とその語感は寒気が走るものがあります。
一気に読み終えてみると、「シドニア」で圧倒的な敵として登場する「衆合船」の中での物語のようにも読めるんですよね。一気に訪れる終末の様相といい、黒と白の配合具合(これはそのまま陰陽の文様にも通じるのですが)といい、ひとつの宗教絵巻といってもいいんじゃないでしょうかね。
2014/11/13
飯田馬之介「機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム」
山のようにあるガンダムスピンオフ漫画の一つですが、僕が特に好きな作品です。作者は「ガンダム08小隊」の後半部分の監督さんで、残念ながら既に鬼籍に入られています。
ファーストガンダムの最初、オーストラリアのシドニーにコロニーが落ちてくる、誰しも忘れられないあのシーン。今ではジオンによる「ブリティッシュ作戦」と呼ばれていますが、この漫画はその一部始終を一つの作品としたものです。
ジオンはザクやミノフスキー粒子散布を導入したばかり、連邦にモビルスーツはなく、旧来の誘導兵器を積んだ戦闘機しかないという状況。コロニーが奪取され地球へと落とされる場面に遭遇したマゼラン級戦艦「トータチス」の死闘が描かれています。
イシュタムとはマヤ文明の首狩り女神のことらしく、ジオン側の中心となる女性兵士がトレードマークとしてヘルメットから長い髪を翻らせており、イシュタムに象徴させられています。彼女と連邦の兵士ナダとの戦いは悲惨を極めるものになっていきます。
連邦にはモビルスーツがないので、ナダは後半、超強力な強化スーツを着て戦うのですが、ガンダムの世界観的にギリギリという感じでしょうか。でも、個人的には正史に入れたいぐらいの物語だと思っています。
結局トータチスの戦いは無駄骨だと最初から解っているのですが、ではどう展開するか、そのサスペンスが見ものです。また、「08小隊」の主人公、アマダ・シローの士官候補生時代も描かれますので、ファンの方はその辺も見どころですね。
ファーストガンダムの最初、オーストラリアのシドニーにコロニーが落ちてくる、誰しも忘れられないあのシーン。今ではジオンによる「ブリティッシュ作戦」と呼ばれていますが、この漫画はその一部始終を一つの作品としたものです。
ジオンはザクやミノフスキー粒子散布を導入したばかり、連邦にモビルスーツはなく、旧来の誘導兵器を積んだ戦闘機しかないという状況。コロニーが奪取され地球へと落とされる場面に遭遇したマゼラン級戦艦「トータチス」の死闘が描かれています。
イシュタムとはマヤ文明の首狩り女神のことらしく、ジオン側の中心となる女性兵士がトレードマークとしてヘルメットから長い髪を翻らせており、イシュタムに象徴させられています。彼女と連邦の兵士ナダとの戦いは悲惨を極めるものになっていきます。
連邦にはモビルスーツがないので、ナダは後半、超強力な強化スーツを着て戦うのですが、ガンダムの世界観的にギリギリという感じでしょうか。でも、個人的には正史に入れたいぐらいの物語だと思っています。
結局トータチスの戦いは無駄骨だと最初から解っているのですが、ではどう展開するか、そのサスペンスが見ものです。また、「08小隊」の主人公、アマダ・シローの士官候補生時代も描かれますので、ファンの方はその辺も見どころですね。
2014/11/10
植芝理一「謎の彼女X」
連載は終わったらしいのですが、まだ終盤は読んでいないのです。普通の高校生男子と、普通でない高校生女子のラブコメディといえばいいのか。彼女の普通でなさは、超常能力に依存するものではなく、思春期特有の思い込みがかなり強化されたものとも言えるのかと。
カップルになってからもキスをするでもないプラトニックな関係なのに、お互いの唾液を舐めることで気持ちが文字通りダイレクトに伝わるというアブノーマルな心の交流が作品の肝になっています。
男からみた女は謎なんだけど、その謎さが心地よい距離感になるという…まぁ漫画でしかあり得ない恋愛漫画ですね。思春期の少年にそこまで達観は難しいでしょうから。
しかし、このやや優柔不断な主人公に、お約束ですが他の少女が次々と訪れてくる訳です。昔の初恋の人、彼女にそっくりなアイドル、パーソナルスペースが狭い少女…。カップルとして成立しているにも関わらず、男は隙あらば動揺してしまうという弱い動物です。
すなわちこの漫画、主人公がヒロインポジションで、謎の彼女が主人公を狙う少女たちを各個撃破するという、仮面ライダー的ラブコメディとしても読めるのです。彼女の奇想天外な大立ち回りは是非漫画で読んで頂きたく。
作者は以前バトルもありな伝奇漫画で人気を博したにも関わらず、今回はその手の要素をほぼ封印してラブコメを描き続けましたが、少女はそれ自体が謎であるという命題が行き着いた先は、少女はおしなべて変身ヒロインであるというものだったわけで、ぶれてないなと思う次第です。
カップルになってからもキスをするでもないプラトニックな関係なのに、お互いの唾液を舐めることで気持ちが文字通りダイレクトに伝わるというアブノーマルな心の交流が作品の肝になっています。
男からみた女は謎なんだけど、その謎さが心地よい距離感になるという…まぁ漫画でしかあり得ない恋愛漫画ですね。思春期の少年にそこまで達観は難しいでしょうから。
しかし、このやや優柔不断な主人公に、お約束ですが他の少女が次々と訪れてくる訳です。昔の初恋の人、彼女にそっくりなアイドル、パーソナルスペースが狭い少女…。カップルとして成立しているにも関わらず、男は隙あらば動揺してしまうという弱い動物です。
すなわちこの漫画、主人公がヒロインポジションで、謎の彼女が主人公を狙う少女たちを各個撃破するという、仮面ライダー的ラブコメディとしても読めるのです。彼女の奇想天外な大立ち回りは是非漫画で読んで頂きたく。
作者は以前バトルもありな伝奇漫画で人気を博したにも関わらず、今回はその手の要素をほぼ封印してラブコメを描き続けましたが、少女はそれ自体が謎であるという命題が行き着いた先は、少女はおしなべて変身ヒロインであるというものだったわけで、ぶれてないなと思う次第です。
2014/11/04
吾妻ひでお「うつうつひでお日記」
「失踪日記」はドキュメントタッチでありつつも物語として読めるのですが、こちらは本当に日記ですね。2004年から2005年にかけて、「失踪日記」が発表されて大々的に再評価され始めるまでのどん底状態の頃の日記になってます。
ブログもそうだと思うのですが、誰かに読ませるために書いている日記というものは、ツイッターのように反射的に書くものでもなく、多少は自己矛盾にも気にしなきゃならないし、面白い文章とかも目指さないといけないし。
本来は些細な事などさらっと忘れることも精神の健康には必要だと思うのですが、その淀みをわざわざ貯めこむものだから辛くなってしまって、結局なんとなく書くのを止めてしまうというパターンが多いんじゃないかと。僕なんかまさにそれ。
この本の中にも何度も書きたくないとか面白いのかとか自問自答しているのですが、それが面白いのは結局これまでの蓄積がものをいってるんでしょうね。というか年齢を重ねても新しい物事への興味が続くのがさすがというところです。
その当時読んだもの見たものを一行レビューと共に記録してあって、こちらの記憶と照合するのも楽しいです。カバー裏に、出てきた本のタイトルを並べて全部書いてあるのですが、その量にびっくりしますね。
オタク的忘備録として当時(もう十年も前になるというのでビビりますが)を思い出すのにも良書だと思います。まあでも今後、吾妻ひでおが博麗霊夢を描いたりすることはなかろうな…。当時コンプエースで読んでびっくりした思い出があったり。
ブログもそうだと思うのですが、誰かに読ませるために書いている日記というものは、ツイッターのように反射的に書くものでもなく、多少は自己矛盾にも気にしなきゃならないし、面白い文章とかも目指さないといけないし。
本来は些細な事などさらっと忘れることも精神の健康には必要だと思うのですが、その淀みをわざわざ貯めこむものだから辛くなってしまって、結局なんとなく書くのを止めてしまうというパターンが多いんじゃないかと。僕なんかまさにそれ。
この本の中にも何度も書きたくないとか面白いのかとか自問自答しているのですが、それが面白いのは結局これまでの蓄積がものをいってるんでしょうね。というか年齢を重ねても新しい物事への興味が続くのがさすがというところです。
その当時読んだもの見たものを一行レビューと共に記録してあって、こちらの記憶と照合するのも楽しいです。カバー裏に、出てきた本のタイトルを並べて全部書いてあるのですが、その量にびっくりしますね。
オタク的忘備録として当時(もう十年も前になるというのでビビりますが)を思い出すのにも良書だと思います。まあでも今後、吾妻ひでおが博麗霊夢を描いたりすることはなかろうな…。当時コンプエースで読んでびっくりした思い出があったり。