2015/02/23
フィリップ・K・ディック「ヴァリス」
SF作家ディックは、自分が喪失した周囲の友人のことや、自分が感じたとする「超常現象」(それのおかげで息子の命を救われている)や、自分が常に国家や何者かに監視されているという強迫観念から、自分を第三者化を主人公として一人称の小説を書き始めます。ところがそこに、分離したはずの自分自身も登場し始めて支離滅裂に。一方で彼が描き上げた宗教かSFかよく判らない膨大な経典…「釈義」が挿入され、物語の規定を越えて人生を変えていきます。さてこの本に描かれているのは創作キャラクターによるSFなのか彼のドキュメンタリーなのか、あるいは宗教なのか。
「ブレードランナー」原作として一般人にも知られているディックの、後期代表作たる宗教SFといわれるものですが、とにかく説明しづらい本です。今早川から出てる新訳版の訳者あとがきで訳者・山形浩生が懇切丁寧な説明を書いてますので、それを読んでからの方が理解できて面白いかもしれません。
新約版が比較的、小説として正しく読まれることを目指したのに対して、旧訳版はグノーシス主義など宗教のタームと物語との関係性をものすごく重視して取り上げているらしく、その後のオカルト要素を含むSF(ゼノシリーズやエヴァンゲリオンなど)に大きな影響を与えたものと見られます。物語自体は作者が妄想しているだけにも読めるんですが。
一方で、巨大な世界の仕組みと自分の身の回り(その精神状態の克明な描写)が直結しているという物語構造は、エヴァを起点に一時期流行ったセカイ系の雛形そのもので、あの体験をもっと肉付けしてヤク漬けにしたものだと考えてもいいでしょう。セカイ系はノベル系ゲームの興亡と共に僕ら世代の消費者の青春に少なからず傷を刻んでいきましたが、この本の構造を知っていれば相対化できていた人がもう少しだけ増えていたのかもしれませんね。
こちら旧訳版
旧訳の訳者さんはこんな本も出してます。旧作エヴァのみ対応してますが、2年掛かりのものすごい労作です。
2015/02/22
ZUN・春河もえ「東方鈴奈庵」
異端作となった「東方儚月抄」以外の東方公式漫画のフォーマットを踏襲しつつも、より妖怪漫画を志している感のある今作。東方だから妖怪漫画は当たり前といってしまえば終わりですが、画風からして現在の(萌え)漫画のトレンドから外れているのは見ての通りです。
東方の舞台・幻想郷では、人間と妖怪がルールある共存をしている訳ですが、そのルールを自分で達成できない人間にとっての妖怪は、幻想郷外の人間が持つ「妖怪」の概念に近いものとして捉えられている、というのがこの漫画で表現されています。
他の東方公式作ではともすれば古臭い説話めいたネタが多いのに対して、「鈴奈庵」は妖怪漫画というか、隙あらばルールを越境しようとする主人公・小鈴の行為が、今までとは逆説めいて危なっかしいというか新鮮というか。
それは、神主(ZUN氏)が「儚月抄」以来敢えて封印しているようにも思える、物語を物語ることへの未練を感じさせるような作風でもあります。
そもそも「幻想郷」では、昔から未練というものは肯定的に捉えられている節があります。古くは冥界と幽霊の設定もなんかもそうですが、大本を辿ればPC-98で産声を挙げたSTGが未だに命脈を保っているのも成り行きと未練の結果でしょう。僕がこうして東方に興味をもつのもまた未練ですが。
そして小鈴が妖魔本を手放せないのも未練。東方には収集癖があるキャラが結構いるのですが、彼女たちの/彼女たちへの未練は人間以上に人間くさいものです。殆どの人は博麗霊夢のように生きられはしないわけで…だからこそ幻想郷は今も輝きを失わないのかもしれませんけどね。
妖怪漫画といえばやっぱりこれ。
2015/02/21
ウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」
厳密に言えばサイバーパンクの祖ではないんだろうけども(そもそもサイバーパンクとは思想を含んだ時代の運動だった模様)、それでも今に至るまでサイバーパンクはおろか、サイバースペースのイメージを規定し続けるアーキテクチャ的な作品でした。
カウボーイと呼ばれるスーパーハッカーが、ヤク漬けで明日も見えない自分の自由と命を天秤にかけてネットを駆け巡り、未だ規定されない存在と邂逅し別離して、結局自分の命以外に何も得るものがない、そんな刹那の物語です。「楽園追放」のプロットもまんまこの作品からのイタダキだったのだなという発見がありました。
勿論、19世紀的なジャポニズムを変容するオリエンタリズムに書き換えて登場させ、それが80年代以降の日本の発展と凋落、また日本発エンターテイメントと融合して海外作品とコール&レスポンスを繰り返していったのは御存知の通り。映画版の「攻殻機動隊」が「マトリックス」という作品の一部を呼んだけども、マトリックスは元々ニューロマンサー映画化の頓挫から始まっているとのこと。
作中で使われているガジェットは、作者ギブスンが今で言うITにさほど詳しくなかったにも関わらず、現在も使われていたり、現実になりつつあったりするものばかり。何処かで見たシチュエーションだなと思ったら、それは即ちここが発祥なのです、多分。
一方でパンクというテーマはやはり欧米の文化圏を背景に持つからなのか日本のフォロアーには継承されにくいのか、向こうではアウトローが話のメインになるのに日本のサイバーパンクは体制側のシステムを描くところに面白さの重点が置かれやすい気がします。
あと特筆すべきは訳者の言語感覚なのでしょうね。「ニンジャスレイヤー」などにもそっくりそのまま引き継がれた言葉たちが、これまでの和製サイバーパンク、ひいては海外作品への流出によって与えた影響の大きさは、これからも継続して確認していきたいなと思います。
原題の元ネタになった高橋幸宏のアルバム。テクノポップの傑作です。