2015/02/26
月村了衛「機龍警察」
以前は「神秘の世界エルハザード」「Noir」などアニメの脚本家として活動していた方の小説家デビュー作ですが、キャリアが長かった上にもともと小説家を志望していたとのことで新人感は全くなく、書き慣れた感じの近未来小説です。
パワードスーツによる戦争・テロが一般化した時代、警察組織内に独立部隊として特捜部(当然ながら警察内部から嫌悪されている)を設置。その戦力の中核となるのは、標準のパワードスーツとは明らかに技術レベルが違う「龍機兵」で、その核心となる技術は当の特捜部であってもブラックボックスであるという。
特捜部の部長は警察外の出身者、龍機兵担当の警官はわけありの傭兵たち。寄せ集めでバラバラの心を持つ人々が、葛藤と矛盾に挟まれながらも犯罪に立ち向かいます。
正直、この第一巻目はキャラクターの紹介が主という感じで、話は走り始めたところで終わるのですが、その続刊が日本SF大賞を始め、次々に賞を獲っていることを考えても、滑り出しとしては完璧な本だと思われます。
警察の内部にありながら外部組織のような構造とオーバーテクノロジーなスペシャルウェポンを持ち、しかしながら警察組織的な手順を丹念に描こうとする物語構造は、昔大好きだった麻生俊平の小説「VS」と全く一緒でワクワクしました。まぁ「VS」は打ち切られてしまったのですが、今回はその不安とは無縁のようです。
表紙の装丁だけみるとSFに思えない感じですが、これも作戦勝ちかもしれませんね。サイバーパンク的要素は全くなく、シリアス要素のみの「パトレイバー」現代版を望む人向けといえば端的な表現でしょうかね。
全5冊。この人の小説は僕の青春でした。クリックすると昔書いた僕のレビューが載っています。
昔、作者が脚本として参加していたので、元ネタだと指摘する人もいるようです。
2015/02/25
川井マコト「幸腹グラフィティ」
三人の少女が集まって執拗に、旨そうに飯を食べるということを物語の山場に置き、その描写がアニメーションスタジオ・シャフトお得意の構図も相まってアニメでも話題になっている「幸腹グラフィティ」。等身大の幸せというにはちょっと栄養取り過ぎな作品ですが、その原作について書いておきます。
美術を志して一人?暮らしというヒロインの設定はモロに「ひだまりスケッチ」の後継を想起させられるものですが、少女たちと、そこから適度に距離をおきつつも表現される家族のあり方という構図は、「トリコロ」から連なるまんがタイムきららの正当な系統だといえるでしょう。
ご飯を旨そうに食べるというところは原作でも過剰な描き込みになっていて、これが話の流れを循環させていくのですが、このワンアイデアは友人曰く「花のズボラ飯」あたりからの引用なのでしょうとのこと。
口の表現というのはそのまま性的隠喩に繋がることから擬似ポルノなんて揶揄されることもありますが、漫画版についてはその書き込みの整っていなさが、性的なものを想起させにくくなっています。
いわゆる萌え4コマには漫画としての(ギャグに限らず、物語的な着地点としての)オチをもつものと、そうでないものに大別されます。この点、原作は食べるということについての芳醇さを食材の豊富さのみに拠らず、毎度考えて描かれている気がしました。
アニメ版が悪いという訳ではないのですが、セル調のアニメはどう頑張っても清潔になってしまい、漫画版が持つ、食事シーンのダイナミックさを削いでしまっている感があります。アニメで少女たちを気に入ったら、原作で漫画としての面白さを体感して貰えたらと思いますね。
アニメ版はなんといっても次回予告の歌が耳に残ります(笑)
2015/02/24
グレッグ・ベア「ブラッド・ミュージック」
若く野心的で能力があり、そして社会性を持たない科学者が作ってしまった「意志を持つ細胞」。だが会社はその全ての成果を捨てるように命じます。窮地に陥った科学者はあくまでも緊急退避のつもりで自分の体内にそれを注射してしまいますが…。
90年代に一世を風靡した「パラサイト・イブ」や国産SF「二重螺旋の悪魔」なんかを思い出す(というかこちらが元ネタなんでしょうが)、バイオホラーSFでありつつ、「幼年期の終わり」の後継作ともいわれるように、人工的な強制進化へと繋がる大作です。
ホラーというのは結局見せ方の問題なので、中盤は状況が進行しすぎてしまってホラーではなくなってしまうのですけどね。1ページ目からはまるで想像できないラストに辿り着きます。
旧作エヴァの劇場版「Air/まごころを、君に(通称EoE)」が公開された当時、その映像が「ブラッド・ミュージック」の完全映像化だと指摘されていた方もいたのですが、全くその通りで、多分映画製作陣も意識していたのでしょうね。
また、人が減り、滅び/への行程から一気に最終局面に繋がるラストシーンは「最終兵器彼女」の終盤も思い出させるカタストロフでした。静かなシーンから一気に坂を下る感じです。
技術が人間をそのものを(倫理や道徳に関係なく)作り変えてしまうという意味でサイバーパンクに連なる作品ともされていますが、最後の最後まで状況に抗いつづける少女スージーの意志と寂しさは読んでいて人間的・動物的な共感を誘われます。物語的にこの少女の立ち位置は若干ご都合主義的な感じもするのですが、この子の存在が単なる恐怖ではなく、詩情といいますか、それぞれに寂しさを持つ登場人物たちの心情を統合するインターフェイスの役割を果たしていたのだなと。是非一人でじっくり、一気に読んでいただきたいと思います。
補完のシーンは心の中の表現も含めてまんまブラッド・ミュージックでしたね。